船後靖彦
2008年09月28日
身体障害者更生援護施設ディアフレンズ美浜に船後靖彦さんを訪ねました。
船後さんと主人の出会いは今から数年前。ある方の選挙応援に行った際、一番前で聞いておられた船後さんに声をかけたことからメール交換が始まります。以来船後さんのバンドのライブを聴きに行ったり、DVDを送って頂いたり・・・というお付き合い。
船後さんの病気はALS(筋萎縮性側索硬化症)。筋肉が次第に麻痺していく難病です。
動くことは勿論、話すことも、食べることも、自分で息をすることすらできません。
この度久しぶりの再会。ひげはきれいに整えられ、紫のストライプのシャツを着こなし、手には指輪やブレスレット・・・完璧なおしゃれをして迎えて頂きました。
バンド仲間であるというボランティアの方があいうえお表を読み上げ指差していくのに、わずかに動く額と目で合図を送って言葉にします。
「今日はお忙しいところお越し頂きありがとうございます。お身体の調子はいかがですか。」
口に出してしまえば一言で終わる言葉を一文字一文字を探していく根気のいる作業。私は涙を堪えるのに必死でした。
昨年主人が体調を崩した頃、私は船後さんに会いたいと思い訪問を計画していました。今思えば船後さんから勇気をもらいたかったから。実現できずにあれから1年。今回、元気になった主人と一緒にお会いすることができて本当に良かったです!!
この病気を発病する41歳まで寝る間も惜しんで仕事をしてきた船後さん。「勝たなければ意味がない」とどんな仕事にも全力投球。家族や友人達との時間も犠牲にして駆け抜けてきました。
病気を宣告されてもなかなか受け入れることが出来ない・・・絶望感と焦燥感。
病気は容赦なく進行していきます。家族に迷惑はかけたくない、いずれ自力では呼吸が出来なくなる。その時は死んだ方が良い・・・。
今は穏やかに見える船後さんも当時は深い苦しみの中でもがいていたようです。
当たり前です。もし私だったら全く動かない身体に人工呼吸器をつけて生き続ける選択をするだろうか・・・。
生きていく意味を見出すことはできるだろうか・・・。
答えは出せません。
今船後さんは「伝の心」という特殊なパソコンを額のわずかな動きで操作し、メールも打てば、作詞もし、短歌も作ります。
ライブもすれば、講演にも出向く。ALS国際学会に出席する為海外にまでも出かけて行きます。
人間はどんな姿になろうとも生きているだけで価値がある・・・船後さんの魂は動けない身体とは反対に伸び伸びと光輝いているようでした。
「奥様に質問があります。」
私は何だろうかとドキドキしながら次の言葉を待ちました。
「おばあさまの名前はアヤコさんですか?」
その後を側におられた船後さんのお母様が引き継いでお話されたところによるとそのお母様のお母様、つまり船後さんのおばあさまと私の祖母はなんと従兄弟だというのです。
「親戚だったんだ・・・」
不思議なご縁を感じました。
もし幸を摑みたいなら
人の幸つくる手助けするが何より
病苦さえ 運命がくれたゲームだと
思える我は「しあわせの王」
船後さんから勇気をもらいたい方は「しあわせの王様」をご一読されることをお勧めします。
この記事は2008/09/28に公開され2024/02/28に更新、2 ビュー読まれました。