北海道家庭学校
2007年06月26日
「福祉の原点が北海道家庭学校にはある」という話を聞き、遠軽まで行ってきました。北海道家庭学校は今は児童自立支援施設と言われる施設です。その日のもうひとつの目的地、同じ遠軽町内にある知的障害者施設ひまわり学園まで小田島校長が迎えに来て下さり、そこから車で約30分。山の麓にある門が北海道家庭学校の入り口です。柵があるわけでもなく、門に扉さえありません。運転をして下さった職員の坂本さんのお子さんが小学校のスクールバスで丁度帰ってきたところでした。「ただいま~!」子ども達の元気な声が響き渡る、緑豊かな本当にのどかな光景です。
この北海道家庭学校ができたのは大正3年のこと。岡山県出身の留岡幸助氏によって、全く未開の地からスタートしました。まずは校長先生にその広大な敷地をご案内頂きます。留岡幸助先生の記念碑が建つ平和山と呼ばれる山の頂上。木造の美しい礼拝堂。車を降り、美味しい空気を胸一杯吸い込みながら、当時どうやってこの地を開墾したのだろうか・・・その苦労を想像していました。
ここには七つの寮があり、寮長、寮母と共に少年達がひとつの家庭のように生活しています。私は柏葉寮の7名の少年達の夕食、朝食に入れてもらいました。寮長の軽部さんはひょうきんで温かく、でも怒ると恐いお父さん、寮母の奥さんは働き者で優しいお母さん・・・という感じです。軽部さんの奥さんとお当番の少年が作った美味しい夕食はお祈りで始まりました。複雑な家庭の事情を抱え、非行に走った少年達と一体何を話したら良いのか・・・初め私は少し緊張していました。それでも日常生活の様子などを聞いているうちに段々と打ち解け、少年たちも明るい笑顔を向けてくれます。まだまだあどけない表情を見せる彼らですが、つらい人生を背負って家庭学校にやってきたことでしょう。ここに来るまで社会も大人も全く信用していなかったと言う彼ら。将来の夢は、パティシエ、理容師、航空会社に勤める等様々でしたが、夢に向かって頑張ってほしいと思います。少年達に温かい眼差しを向ける軽部夫妻は苦労を苦労ともせず、本当の親のように見えました・・・。
一晩泊めて頂き、次の日は大運動会の前日。2ヶ月弱の短い期間に練習したというマーチングを披露してくれました。全く楽器に触ったこともなかった彼らがトランペット、リコーダー、小太鼓などを演奏しながら行進します。まだ完璧ではありませんが、一生懸命に行進している姿は私の胸に刻み込まれました。規則正しい生活と信頼できる先生方、野菜作り、酪農等自然とのふれあいの中での作業、マラソン大会や、スキー大会・・・つらい生活の中にもそれまで味わったことのない喜びや達成感を感じ、少年達は成長していくようです。
小田島校長先生ご夫妻、職員の皆様、大変お世話になりありがとうございました。
この記事は2007/06/26に公開され2024/02/28に更新、4 ビュー読まれました。