チベットチベット
2008年08月24日
今年の4月ダライ・ラマ法王にお目にかかった頃、私はチベットのことを検索していて「チベットチベット」という映画の存在を知ります。在日韓国人の監督、キム・スンヨン、沖縄在住・・・丁度5月に沖縄に行く予定があったので、是非会いたいと思い友人達に頼んで連絡先を調べてもらいました。残念ながら既に沖縄には住んでおられなかったので、沖縄で会うことはできませんでしたが、その後東京で一緒に食事をすることになります。
今回は7月22日~8月10日、8月19日~8月24日の期間、東中野にあるポレポレ坐というところで開催された受難と祈りー、チベットを知るための夏というイベントで「チベットチベット」が上映され、キム・スンヨン監督のトークショーもあるということで行ってきました。
午後5時から始まり、まず「チベットチベット」、そして岩佐寿弥監督の作品「モゥモチェンガ」が上映。その後岩佐監督とキム監督の対談。岩佐監督ご夫妻と、母親がチベット西部からネパールに亡命、ネパールで生まれ約5年前日本に来たという女性、ドルマの話・・・と続きます。会場には座りきれない人・・・。その人の多さと来場者の熱い想い・・・。会場は熱気に包まれ終了したのは10時半。なんと5時間半!!これだけの人達、特に若い人達がチベットに深く関心を持っているということに私はちょっとびっくりしました。
1997年。当時、鍼灸整骨師だったキム・スンヨン監督は中国にある鍼灸の大学に行くと親に嘘をつき、学費をもらってビデオカメラを片手に行くあてもない旅に出ます。韓国人としての民族の誇りを持てと祖父母に言われて育ったものの、民族の誇りって何だろうという疑問を胸に・・・。インドのダラムサラで初めてチベット問題を知り、チベット人の苦難を知ることにより民族性について考え直すようになっていくキム監督。彼の純粋さは時に残酷さともなって真実を伝えていきます。長い道のりを経て亡命してきた若い僧侶達が、初めてダライ・ラマ法王の話を間近で聞き、じっとうつむいたまま涙を流しているシーン。見ていて胸が締め付けられるような、何とも言えない気持ちになりました。
長い旅を終えて日本に戻って来たキム監督は金森太郎という日本名ではなく、初めて金昇竜(キム・スンヨン)という本名を名乗るようになるのです。
各地で上映会も行われているようですので興味がある方は是非足を運んでみて下さい。http://tibettibet.jp
岩佐監督ご夫妻が娘のようにかわいがっているというドルマ。彼女の母親はヒマラヤを越えてネパールに亡命。まもなく夫は死亡。再婚相手との間に授かったドルマを洞穴で出産しますが、ドルマの父親は蒸発。そしてその母もドルマが4才の時病気で亡くなります。その後ダラムサラにあるTVCというチベット難民の子ども達を教育する機関で勉強し、デリー大学を卒業後はネパールに戻って英語教師をしていたそうです。ドルマが日本に来たのは28歳の時。目的は日本語を身につけ、仕事を見つけ、そして祖国チベットの真実を多くの日本人に理解してもらう活動をするためでした。流暢な日本語でチベットのことを多くの人に知ってもらいたいと訴える彼女。日本に来るのもビザの問題等大変だったようです。日本に来てからは勉強とアルバイトでほとんど寝る間もないような生活。しかし苦労とは思わなかったと明るく笑いとばしていました。
「日本人は小さな悩みを自分でわざわざ大きくしているような気がする。」
彼女の言った一言が私は心に残っています。
私達は日頃、自分が日本人であり日本に住み、国内どこにでも自由に行くことができ、日本人としてのパスポートがあり、ビザの必要な国に行く際にはビザがもらえる・・・当たり前のことだと思っています。しかし難民にならざる得なかった人たちからすれば、夢のようなこと。私達は日本に生まれたことに感謝をし、自由を奪われている人たちのために何ができるか考えなくてはいけないと思います。
まずは知ること・・・。
この記事は2008/08/24に公開され2024/02/28に更新、1 ビュー読まれました。