ウズベキスタン

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コシノジュンコさんファッションのお話

日本ウズベキスタン協会の新年会に行きました。2002年に当時の中山恭子大使(現参議院議員)をお尋ねして全く未知の国であったウズベキスタンに行って以来、私はすっかりこの国が好きになりました。独立してわずか10年ほどの若い国は決して裕福ではありませんでしたが、夢と希望と若い活気にあふれているように見えました。熱心に日本語を勉強する多くの学生達。みんな日本人を尊敬し日本に憧れています。いつか日本に行きたい・・・熱く語る彼らの話を聞きながら、今の日本は期待はずれかもしれない・・・そんなことを思ったものでした。サマルカンドでガイドをしてくれたニルファルという女の子は当時まだ大学2年生。その後憧れの日本にやってきて今はウズベキスタン人のご主人と赤ちゃんと生活しながら大学院で勉強しています。夢に見た日本と現実の日本・・・。むしろ日本人が、優秀で勤勉な彼らから学ぶことが多くあると思います。

永田行夫さん

ウズベキスタンの首都タシケントにはナボイ劇場という有名な劇場があります。これは戦後日本人抑留者によって建てられたもの。1960年代にあった地震でほとんどの建物が倒壊する中、このナボイ劇場はびくともしなかったそうです。そして日本人の真面目さ、勤勉さ、技術力が改めて評価されることになりました。劇場建設の指揮をとられたのがウズベキスタン協会会員のお一人でもある永田行夫さん。新年会にもご出席でした。当時24歳という若さ。日本に帰れると思っていたら連れていかれた見知らぬ土地での捕虜生活。どん底の絶望感の中で敵国のためになんでそこまで熱心に働くことができたのか・・・。改めてナボイ劇場建設の記録を読んでいると、いくつかの理由があげられた後「このような理由で本記録は最も恵まれた環境下の収容所のもので、より過酷な条件のもとで苦労された多くの抑留者の方から見れば奇異に感じられる点も多い事と思われます。これらの方々の体験された辛酸に比べれば環境と仕事の性質に恵まれた事は幸運という外ありません。」と書かれています。充分に過酷な環境であったということは容易に想像がつきますが、それでも他と比べれは恵まれて幸運であったと言える強さ・・・ウズベキスタンでなぜこんなに日本人が尊敬されるか少しわかったような気がします。

人と比較して足りないところばかりに目がいく現代の私たちこそ永田さんのような日本人を尊敬しそこから学ぶ努力が必要なのではないかと思いました。

ウズベキスタンの留学生たち

この記事は2008/01/13に公開され2024/02/28に更新、2 ビュー読まれました。

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