新春の集い

新春の集い

久しぶりに風邪を引き、寝込んでしまいました。

寒い中、マラソンの練習を堂々と休めるのは嬉しいような、焦るような・・・。

でも今はしっかり治しておかないと・・・ということで雑誌と本を大量に寝室に持ち込み休養宣言。

先週末は旧豊浦郡、長門市、下関市の3ヶ所で主人の後援会、毎年恒例の「新春の集い」がありました。

西長門リゾートから見る角島と角島大橋、絶景です

最初の会場西長門リゾートでは空も海も青々と輝き、澄み切ったお天気だったのですが、その後雪へと変わります。

しかしそんなお天気にもかかわらず、多くの後援者の皆様にお集まり頂き会場は外の寒さを吹き飛ばすような熱気に包まれていました。

もう一度頑張れという温かいお励ましに、感謝の気持ちで胸が熱くなりました。

庭の雪

今回の主人の挨拶の一部を紹介します。

100年に1度の大不況と言いますが、64年前に敗戦で多くの人達は愛する人を失い、財産を失い、そして工場は瓦礫の山と化しました。

敗戦の翌年、昭和21年の歌会始で昭和天皇は

『ふりつもる み雪にたえていろかえぬ 

           松ぞををしき 人もかくあれ』

と歌われました。

「戦いに敗れ今は占領下にあるが、あの松の様に青々とした美しさを失わない強さにならい、日本の良さを失ってはならない」との思いをこめられたものと思います。

この年昭和21年にジョージ・アリヨシという日系2世の米軍兵士が進駐軍の一員として東京にやってきました。後のハワイ州知事です。

彼が勤務した丸の内ビルの前にいつもひとりの靴磨きの少年が立っていました。その少年は礼儀正しく、背筋を伸ばし真面目に仕事をしていました。

痩せてお腹をすかしている彼に同情したジョージ・アリヨシは、食堂でパンにバターとジャムをぬり、ナプキンで包んで少年に渡しました。

しかし包みを受け取った少年はそれを食べずに大事そうに道具箱にしまったといいます。

「どうして食べないんだ?」

と尋ねると

「家に3歳の妹が待っています。持って帰って一緒に食べます。」

と答えたそうです。

身なりはみすぼらしくとも、凛としたその少年の姿に彼は感動を覚え、日本人の血が自分の体に流れていることに誇りを持ったということです。

こうした少年達が日本の復興を支えてきたのだと思います。

この4月から新しい教育基本法にのっとった授業がスタートします。公共の精神、地域や国を愛する心を教えていきます。

いくら経済が一時的に不況に陥ったとしても、大切なものを失い、殺伐とした社会にしてはなりません。

今こそそれぞれの責任を果たすことによって、この難局を乗り切っていこうではありませんか。

日本の悪いところを論(あげつら)うよりも、日本人であることを卑下するよりも、誇りを持って明るい明日を作るために汗を流そうではありませんか。

この記事は2009/01/29に公開され2024/02/28に更新、1 ビュー読まれました。

    2024/02/28   ブログ   

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