安倍昭恵のスマイルトーク

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2010年08月15日(日曜日) 22時52分

[カテゴリー:ミャンマー]

ミャンマー

しばらくブログもお休みしてしまいましたが、ミャンマーに行ってきました。
2年ぶり。4回目。
あったか~いミャンマー文化にどっぷり浸かってきました。

目的地はマンダレー。
最後の王朝の首都であったこの地は、ヤンゴンに次ぐ第2の都市です。
仏教国であるミャンマーの中でも特にパゴダが多く、お坊さん達の托鉢にまわる姿があちらこちらで見受けられます。
私は初めてミャンマーに行って以来、この街の姿と人々に魅せられ、僧院の管理する寺子屋に関わるようになりました。

今回は10校の寺子屋を回り、子ども達と触れ合ってきました。
「ミンガラーバー!」(こんにちは)
私が教室に入っていくと、手を合わせ、大きな声でご挨拶。
最初はちょっと緊張気味ですが、しばらく写真を撮ったり、質問をしているうちにすっかり打ち解け、キラキラした眼差しと飛切りの笑顔で私を魅了します。

低学年は大勢の子ども達で活気のある教室も、学年が上がっていくにつれ人数が減っていきます。
小学生といえどもミャンマー(多くの途上国)では子どもは労働力だからです。
学校に行きたくても働かなくてはならない子ども達・・・。

学校は好きですか?
勉強は難しいですか?
将来何になりたいですか?
など各教室で質問してみました。

全員、学校が好きで、勉強は難しくないという答え。
将来は、学校の先生、医者、エンジニア、軍人、僧侶・・・この五つに限られていました。
どんな職業があるのかもわからない・・・「夢」という言葉も知らないミャンマーの子ども達・・・。
日本の子ども達と一緒に夢を考える機会が作れたら・・・私の夢は広がります。

今回も日本から同行してもらったのはGMIの岩城良生さん。
現地ではトゥェ・トゥェ・ウーさん、エイ・エイ・タンさん、メイ・トゥさん、アウン・モウ・ミィンさん、カイン・リンさん。
イエ・ジャンさん、モー・ジョさんご夫妻、リン・ジョ・トンさん、岩城さんのお母さんや親戚、血が繋がっていてもいなくても、みんなが家族のよう・・・。
助け合って心配し合って・・・そんな中に私も入れて頂いて一週間。
いつの間にか私も家族のように溶け込んで、離れ難くなっていました。
昔の日本もこんなだったのかなあ・・・と思ってみたり。
暖かいおもてなしを頂き本当にありがとうございました。

街や村の中を歩いている人達・・・車の中から微笑みかけるとみんな思いっきりの笑顔を返してくれます。
ガタガタ道を車に揺られながら外を見ていると、バスを待つ人達、荷物を運んでいる人達、飛び回る子ども達、草を食むヤギ、道を堂々と歩く牛達、賭け事をする男性達、川で洗濯をする女性達、寝ている人でさえ生きているエネルギーに溢れています・・・。
我慢強く明るい人々が逞しく生きている姿は、私の中に眠っている何かを目覚めさせ、大きな感動を与えてくれるのです。
だからまた行きたい・・・。
ミャンマーのすべてに感謝・・・。








ここは床に座って勉強

ここは床に座って勉強


ここは孤児院でなんと約1000人の子ども達が生活しています

ここは孤児院でなんと約1000人の子ども達が生活しています


お坊さん達

お坊さん達


GMIのマンダレースタッフ メイ・トゥ(真ん中)、お母さん(右)は塾の先生で大学生を教えている

GMIのマンダレースタッフ メイ・トゥ(真ん中)、お母さん(右)は塾の先生で大学生を教えている


お弁当の時間

お弁当の時間



瞑想の時間

瞑想の時間

私も中にいます 床が抜けそうな2階の教室

私も中にいます 床が抜けそうな2階の教室

尼さんになつく孤児達

尼さんになつく孤児達


子どもの尼さん

子どもの尼さん

給食作り

給食作り

身体は小さくてもいっぱい食べます

身体は小さくてもいっぱい食べます


エィ・エィ・タンさん(左)とトゥエ・トゥェ・ウーさん

エィ・エィ・タンさん(左)とトゥエ・トゥェ・ウーさん

仲良しになったりっキーはエィ・エィ・タンさんの息子 エィ・エィ・タンさんが数年前日本に留学の際一緒だったので、日本語が話せます 将来の夢はラッパー(?)

仲良しになったりっキーはエィ・エィ・タンさんの息子 エィ・エィ・タンさんが数年前日本に留学の際一緒だったので、日本語が話せます 将来の夢はラッパー(?)

車の荷台に一緒に乗って移動

車の荷台に一緒に乗って移動


GMIの岩城良生さん

GMIの岩城良生さん

アウン・モウ・ミィンさん(左)とカイン・リンさん

アウン・モウ・ミィンさん(左)とカイン・リンさん


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2010年06月15日(火曜日) 10時26分

[カテゴリー:ミャンマー]

ミャンマーシンポジウム

12日(土)増上寺内の講堂で開催された「ミャンマーシンポジウム」。
私も参加者の一人としてお集まり頂きました皆様に感謝申し上げます。
第1部は写真家の関口照生氏の講演。
ご本人が各地で撮られた、主に子どもたちの写真をスクリーンに写しながらミャンマーの現状についての説明と、実際行って見て感じられたことをお話されました。
日本人はほとんど入ったこともないような、奥地の少数民族の写真の数々。
大人も子供も本当にいい笑顔をしています。
民族衣装を纏って凛と立つ女性たちの姿は心から美しいと思いました。
そして私はその写真を見ながら、援助って何だろう・・・としばし考えることになるのです。
貧困をなくしていくには、教育が最も必要であることを訴え寄付を募る予定が、私自身が揺れていました。
経済的にいくら発展しても、自殺者は毎年3万人を超え、いじめや虐待の問題が絶えない日本はミャンマーの人達に援助する資格があるのだろうか・・・経済発展の結果、失うものが大きいのであるのなら、今のままの方が良いのではないのか・・・。
勿論物心両面で豊かになることが一番望ましいと思いますが、それにはどうしたら良いのでしょう。
良い教育が必要なのでしょうか。
しかし教育によっても格差が生じることになるでしょう。
どんな教育が良い教育なのでしょうか。
人間にとっての本当の幸せとは一体何なのでしょう。
色々なことを思い巡らせる中で、私の意見はまとまりませんでした。


最後に会場内から手が上がり、今泉記念ビルマ奨学会の今泉会長からのご発言がありました。
今泉氏は太平洋戦争の際、インパール作戦の部隊に所属されていたそうです。
ビルマ地方には当時約32万人もの日本兵が派兵され、そのうち19万人が亡くなったと言われています。
その遺体を葬ってくれたのはビルマ人。
そして生きて帰還することができた今泉さんのような方々も、食料もなく、病気になったり、怪我をしたり弱りきっているところをビルマの人達にかくまってもらい食事や飲み水を分けてもらって何とか生き延びたそうです。
日本人をかくまっていることがわかれば殺されるかもしれないという中で、命がけで助けてくれたビルマの人達。
「今私たちは、貧しくてかわいそうだからミャンマーに何かをしてあげるのではないのです。
日本人として助けてもらった恩返しをしなくてはいけないのです。」
今泉さんの言葉は会場の空気を変えました。
経験者だから語ることのできる重みのある言葉・・・。

今泉さんは自らも恩返しのために奨学会を立ち上げ、ビルマでリーダーになるべく優秀な学生の育成に力を注いでこられました。

私も今後、恩返しをさせて頂くという気持ちを持って、ミャンマーとの関わりを強くしていきたいと思います。
多くの皆様のご理解、ご協力をお願い致します。

GMIメコン総合研究所
(財)浄土宗報恩明照会






左からコーディネーター楠木真次さん、写真家の関口照生さん、私、浄土宗報恩照会理事長 袖山榮眞さん、GMI岩城良生さん

左からコーディネーター楠木真次さん、写真家の関口照生さん、私、浄土宗報恩照会理事長 袖山榮眞さん、GMI岩城良生さん

6月12日は岩城さん(セインさん)の誕生日 ちょうど新月のこの日はミャンマーのことの新たな始まりの日になりました

6月12日は岩城さん(セインさん)の誕生日 ちょうど新月のこの日はミャンマーのことの新たな始まりの日になりました


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2010年06月09日(水曜日) 23時04分

[カテゴリー:ミャンマー]

告知

12日(土)14時より、増上寺に於いて「ミャンマーシンポジウム」を開催します。
第1部は写真家の関口照生氏による講演、「ミャンマーの子どもたちへ」。
第2部は引き続き関口氏に加え、私も含めたミャンマーに縁の深い数人によるトークショーです。
参加費は1000円で、16時からはミャンマーのお茶を飲みながらの交流会もあります。
興味のある方は(ない方も)是非いらして下さい。

6月12日(土)14:00~17:00
浄土宗大本山 増上寺 光摂殿1階講堂 港区芝公園4-7-5

お問い合わせ:浄土宗報恩明照会 03-3436-3353


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2010年04月06日(火曜日) 14時19分

[カテゴリー:ミャンマー]

ミャンマー

ボランティアの皆さん、大使他大使館員の皆さんと

ボランティアの皆さん、大使他大使館員の皆さんと

「ミャンマーの子どもたちに学校をおくる会」の代表、岡崎に住む松井幸彦先生の呼びかけで、消防車11台がミャンマーに寄贈されることになりました。
ミャンマーでは乾季に大火事の心配が多く、消防車が必要であるという話を聞いた松井先生は各市町村に働きかけ、消防車を集めました。
この度多くのボランティアの方達が運転し、2月14日と4月1日の2日間、岡崎から東京・品川のミャンマー大使館へ・・・。
廃車にならずに、これからもミャンマーの人達の役に立てる消防車は、きっと喜んでいることでしょう。

松井先生はやると決めたことは必ず実現されてこられました。
いつもたくさんの協力者が現れ、思いを実行に移される松井先生に改めて敬意を表します。
ボランティアの皆さんお疲れ様でした。




桜の花と消防車

桜の花と消防車

藤井孝弘団長からミャンマー大使に目録贈呈

藤井孝弘団長からミャンマー大使に目録贈呈


ミャンマー大使館勤務のティダーに誘われて、高田馬場にある「愛の教会」に行ってきました。
マンションの地下にあり、わかりにくいこの場所は、多くのミャンマー人も通うプロテスタントの教会です。

私にとっては本当に久しぶりのイースター礼拝。

神は罪人のために存在する。
私達はみな罪人であり、それを自覚しなくてはならない・・・。

国際ナビゲーター代表、楠田高久先生の『信じてよかった福音』というお話です。

若い頃に聖書を読みながら考えていた「罪人」ということを思い出す機会になりました・・・。

お誘い頂きありがとうございました。
日本での生活は大変なことも多いと思いますが、頑張って下さい!

礼拝後、ミャンマーの方たちと

礼拝後、ミャンマーの方たちと

教会入り口

教会入り口

受付には配られたゆで卵

受付には配られたゆで卵


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2009年04月01日(水曜日) 07時21分

[カテゴリー:ミャンマー]

ミャンマー国軍記念日

左からコシノジュンコさんのご主人鈴木さん、私、奥田重元さん、コシノジュンコさん、岩城良生さん

左からコシノジュンコさんのご主人鈴木さん、私、奥田重元さん、コシノジュンコさん、岩城良生さん

ミャンマー国軍記念日64年祝賀レセプションに行ってきました。
ミャンマーというと一昨年の暴動で亡くなった日本人ジャーナリスト長井氏のこともあり、あまり良いイメージを持っていない方も多いかもしれません。
しかし私は2006年に初めてミャンマーに行き、温かく純粋な人々に触れてから大好きな国になりました。
ミャンマー大使館で開催された国軍記念日のレセプションにも”ビルキチ”と言われるようなミャンマー大好きな人たち、ミャンマーと縁の深い方たちがたくさん集まっていました。

今年は外務省が推進している「日メコン交流年2009」の年でもあります。
その一環として、デザイナーのコシノジュンコさんは8月22日、23日ヤンゴンのホテルでファッションショーを行うそうです。既にミャンマー人のモデルさんのオーディションをしてきたとか。初めての外国人デザイナーのファッションショー、きっと盛り上がることでしょう。私も是非行きたいと思っています。

いつも美しい白いあご髭を整えられ、矍鑠(かくしゃく)としておられる奥田重元氏は大正12年生まれ。
昭和16年、外務省情報部派遣学生としてタイに渡りタイ語、ビルマ語の習得と政治・経済・地誌の研究調査に当たります。その後、日本で軍事訓練を終えたアウンサン将軍をはじめとした青年志士30名を中核とし急遽編成された、ビルマ独立義勇軍の陸軍大尉を命ぜられました。
「奥田大尉は、兵団主力部隊編成のための兵器弾薬を宰領して、可及的速やかに国境を越えてビルマ領内に進出、ビルマ人壮丁を徴集教育して、戦力を増強しつつ所在の敵を撃破、ラングーンに向けて速やかに前進、日本軍に先んじてこれを占領すべし。」
まだ10代の若き奥田さんにとっては荷の重い大変な命令だったことと思いますが、後に
生還など思いもよらぬ激戦場の生死関頭で、アウンサン将軍はじめビルマの青年志士達との間に育まれた戦友愛、同志愛は兄弟愛にも勝る温かく濃密なものになっておりました。
爾来、私の脳裏からは人為の「国境・国籍」の二文字が消え去りましたが、そのことは今日まで多くの国々に、夫々心の許し合える真の友を得る事ができた私の人生にとって、誠に大きな影響を与えたものと考えております。

と書いておられます。
今もミャンマーの国のために自分の経験を生かしたいと考えておられる奥田さん。
私は是非ともこの稀有な体験を本にして頂きたいと思い、出版社に働きかけてみましたが、なかなか厳しいご時世、滞っています。

ミャンマーに行ったことがない方は是非一度自分の目でどんな国か確かめに行ってみて下さい。きっと好きになると思います・・・。







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プロフィール

安倍 昭恵

安倍 昭恵

元総理大臣「安倍晋三」の妻。1987年、職場の上司の紹介で安倍晋太郎元外相(故人)の秘書を務めていた安倍晋三と結婚。

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