今年も日本ウズベキスタン協会の新年会に参加しました。
嶌信彦会長そして駐日ウズベキスタン大使のご挨拶に続き、トークショウ。
今回のゲストは国立民俗博物館名誉教授の加藤九祚(きゅうぞう)先生です。加藤先生は87歳。とてもそんなお年とは思えないほど、淀みない弁舌でご自身の経験等をお話になります。
満州で終戦を迎え、捕虜としてシベリアに抑留され約5年間。
ほとんどの人が絶望感に打ちひしがれている中、先生はせっかくだからロシア語を身につけようと決心されたそうです。寒さと重労働の中、勉強しようと考える意思の強さ・・・。そして続けていく根気・・・。本当にすごいと思います。
何とか手に入れた教科書を必死で覚え、1年後にはかなり話せるようになると、スパイではないかと疑われることもあったとか。
そして無事帰国し上智大学に復学します。既に学生としては若くありませんでしたが、5年間留学をし、フィールドワークをしてきたと思うことにしたそうです。
フィールド調査をしてきたのだから、シベリアについて少しはものが言える・・・という発想。正にポジティブシンキングです。
その後、平凡社に就職してからもシベリア研究、ユーラシア研究は続きます。
60歳を過ぎてからは本格的に考古学の研究を始められ、今も仏教遺跡の発掘調査の為、年に3ヶ月はウズベキスタンに滞在。
まだまだ現役で、夢が広がっている先生にみんな元気づけられました。
どんな時も前向きで、明るく、謙虚に生きていくことが大切・・・。
改めて加藤先生から学んだひと時でした。
司馬遼太郎は著書「菜の花の沖」の中で「加藤氏はシベリア抑留時代、生命をしぼりとられるような労働の中で、シベリアを観察し少数民族の生活を凝視し、田舎風のロシア語をみごとに独習した。むろんその後にシベリアを中心とする文化人類学を自分の中に拓こうという野望があったわけでなく、18世紀にイルクーツクに住んでいたラクスマンが、むしょうに学問への情熱と人間と地上のすべてに愛情をもっていたように、20世紀の加藤氏もそうであっただけである。」
と書いています。
君は、はるばる日本からやってきて、スルハン・ダリヤ地方の古いダルヴェルジン・テパやカラ・テパで考古学的発掘に従事している加藤九祚氏について聞いたことがあるかもしれない。彼の犠牲的精神に富む、広範な知識は、われわれの歴史全体や古代の遺跡を含むのみならず、文化的・精神的遺産に関しても深い理解を示している。加えてこれらの事物を外国の人びとに伝えることに大きく貢献し、また、ウズベキスタンと日本両国の学問的関係を発展させることにおいても実り多い成果をあげたことにより、ウズベキスタン共和国大統領令に基づいて「友好」勲章をさずけられた。
そもそも、齢80をこえるこの人物に故郷を捨てさせ、冬の風雪、夏の炎暑、春秋の降雨や悪天候に晒されつつ、荒野に住まわせ、その手にクワを持たせて、古代の遺跡を少しずつ掘り進め研究させている力はいったい何なのだろう?それは、われわれの偉大な遺跡に対する興味、そしてウズベクと日本両民族の歴史と生活における普遍的な観念を学ぼうとする熱意ではないだろうか。
加藤九祚氏のように遠い故郷からやってきて、ウズベクの田舎で学問的探求に携わっている学者は稀ではないだろうか?この人物は、われわれの国や人びとを心から愛しており、われわれの母国語を自由に話すことができ、、われわれの歴史についてどんな人とも議論をたたかわせるだけの知識があり、そしてわれわれの国を高く評価し、尊重している。ウズベクの人びともまた、彼を敬愛するがゆえに「ドムラ(先生)とよんでいるのだ。
ウズベキスタンの小学校6年生用公民の教科書に掲載されている文章です。加藤先生はウズベキスタンで高く評価され、考古学の分野に留まらず2国間の友好関係に大きく寄与されておられます。
日本人のひとりとして誇りに思い感謝申し上げます。
どうぞ益々お元気でご活躍下さい。
この記事、終わり。






